生い立ち_前編

s__z_r_n_19692_徒然草

0歳 関西の地に誕生

このとき誰も、土曜日は決まって吉本新喜劇を昼12時から見る子になるとは思ってもない(笑)

3歳 いとこを迎えに行ったことをきっかけにクラシックバレエを始める

物心ついたころからキラキラしたものが好きな私は当時新聞の折り込みチラシによく入っていた宝石のチラシを集めていたそう。きっと外から見ると美しいバレエの世界に魅了されたのでしょう。

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ちなみに今もキラキラしたものが好きで、昔と変わらず、アクセサリー、特に宝石には目がありません。笑

中学3年間 友達0

 目に見えていじめられることはなく、ただただ無視される3年間。人から反応してもらえない、存在を認められていない気がするという毎日。でも学校は行きたい。だって勉強したい。その一心で3年間謎に皆勤賞を取りました。

 教室では常に本を読んでいたおかげで、東野圭吾さんが大好きになりました。よく言えば、俗に言う、「ガリ勉ちゃん」です。

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今は死語なのかな?今でも使いますかね、「ガリ勉ちゃん」って。

 今思えば、この経験のおかげで、

誰にも左右されることなく、自分のしたいように、自分の志あるほうに進み通す

ということが身についたのではないかと思う。

高校1年夏 腰痛・ヘルニアとの闘いに限界を迎え、クラシックバレエの道を後にする

 もううこれ以上クラシックバレエで上を目指していけない。そんな現実にさらされ、2か月悩んだ末の決断だった。

週6日通い続けたあの場所。

バレリーナになることを夢見てたあの場所。

仲間とともに上を目指し続けていたあの場所。

もう戻らない、戻れない。中学のころ、この場所があったから、ここに仲間がいたから、3年間めげずに戦えたんだと改めて涙が止まらなかった。

高校1年秋 まもなくして、高校の部活動ダンス部に所属

そのダンス部はというと、人数が多く強豪校。大会があるごとにオーディションで順位を決める、年末年始3日間のしか休みない部活だった。年に3・4回は自分の位置を突き付けられる環境は、私の闘争心に火をつけ、バックグラウンドなんて関係ない、No.1になってやると決意させた。朝練/ 昼練/ 部活/ 放課後練、これでもかというぐらい練習した。3年生最後の大会オーディション、念願のNo.1に。

今振り返ると、クラシックバレエでも常にみんなの前を歩いていた。それに突然、終止符を打つ決断をした。その決断を正解にしたくて、必死だったんだと思う。

人生は選択の連続。それに正解なんてなくて、その選択した先を正解するのは自分自身。

そう常に教えられてきた私は、今いるこの場所でNo.1になることが自分の選択に正解の丸を付けることだと無意識的に思っていたんだと思う。

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ただ、高校2年生の時、学年順位を200番を落としたのは秘密の話。

ちゃんと3年生の夏には、200番以上抜きましたよ(笑)

B分身
B分身

、、、え、、、???

高校3年冬 幹部として走り切った、ダンス部という青春に幕を閉じる

このダンス部で生まれた友情は一生ものです。

大学1年春 同志社大学スポーツ健康科学部に入学

漠然と、他と同じことはしたくない、なんとなくで大学に通いたくないという想いがあった。

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もちろん他と同じことが悪いことだとは思っていません。ただ自分はどうしたいかと考えたかっただけで、当時尖ってました。(笑)

3歳から芸術スポーツに携わっていたせいか、スポーツを学問として学ぶことに興味がわいた。

全国大学生ダンスの強豪であるサークルに所属し、これまた幹部として癖ある先輩後輩仲間たちとたくさんの時間を過ごした。

大学2年春 サークルの先輩の紹介で入ったバイトで、「キウイガール」を務めることになる

ご存知でしょうか「Zespri」ゼスプリのキウイフルーツ。

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それを専門に全国様々なスーパーで試食販売員。バイトなのに、交通費宿泊費食事代を出してもらい隠岐の島(四国地方にある島)でお仕事したりもした。

結局4年間このバイトしか続かなかった。

社会人1年目 外資系某スポーツブランドに入社

スポーツの持つ力を、する・観る・支えるスポーツの素晴らしさをもっと多くの人と共有したい、伝えたい!

BUalt
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いよいよ、ここからがあの4年ほど続いた暗黒期に突入していく。。。

 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。長くなりますが、ぜひPART2までご覧になってください!完結篇です。

では、では、また「 生い立ち_2 」でお目にかかりましょう!

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